『海を感じる時』から恋愛を考える

映画『海を感じる時』から恋愛とは何かを考察しました。男女間での恋愛観の違いや作品のシーンから学ぶ恋愛学などを紹介します。

私感

ダメな人間のダメな愛

海

冒頭での音声が聞き取りにくいが、恵美子は父が死んだ時のエピソードを語る。
お父さんのぬくもりを残しておきたくて、覚えておこうとして、朝まで撫でていたが、
熱いのは自分の手のひらだけだった。そう言って、泣くのだった。

映画の始まりは、クマ、クマとはしゃぐシーンから始まるのだが、
肩車している父と娘を映し出すことからクマは女にとって父との思い出だったのかもしれない。

この作品に出てくる主な登場人物、恵美子、洋、恵美子の母、これら全てはいずれも「愛を求める」ことしか出来ない。
みな、人に愛を与えることが出来ないのだ。

人にされて嫌なことを人にしてしまう。時として誰でも犯しやすい過ちである。
具体的には、ものを投げたり、髪を引っ張ったり、乳首が黒いなどなど。
鑑賞者に明らかにわかるように何度も繰り返し出てくる。
心に余裕が無く、行き場のない感情を他人にぶつけてしまうのである。

タイトルを少しセンセーショナルに書いてみたが、率直に言って私はこの映画は苦手である。
ここまで人間の自らの欲に従い、あるいは、むき出しにした人間模様を見ているとなかなかに苛ついてしまう。

ダメな人間などいない、ダメな愛など無い、などと言う気は私はさらさら無い。
その考えが正しいかどうかは別に議論の余地がある。ただここでは私はそう思うのである。
このようなご都合主義の人間関係を見せられると辟易してしまう。

これが若さと言えばそれまでだが、私には理解はできるが共感しがたい内容であった。

誰にでも愛される女になればなるほどだめになってく私がいて
誰からも嫌われる女になればなるほど強くなってく私もいる
あなたどっちがほしいのかはっきりしてくれなきゃ
たまらないってつぶやいて私泣くかもしれない

エンディングの歌や、作品のタイトル、煙草やブランコにあるように、
主人公の恵美子はまだまだ気持ちがゆらゆらと揺れているのだと思う。
人と人との関係は相対的である。
自分の生き方を確立しなければ、相手に対する関係もまたゆらりゆらりと動いてしまうものだ。

さて、上記は私のまわりに一切配慮しない少し厳し目な目で見た感想である。
少し広い視点から考えれば至極オーソドックスな愛憎劇であると思う。

なお、タイトルにある海とは

海=全てを受け入れる象徴

と個人的には解釈している。
海はただただそこにあり、とても大きな存在である。全ての生物の始まりの場所でもあり、また死へと誘う存在でもある。
愛と死は表裏一体のものである。
母が海であなたのところへ行きたい夫(恵美子の父)を嘆くこともあり、
この作品でも、海は愛と死を表現しているものと感じた。

-私感
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